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藍場川が華やぐ春のヒトトキ。萩の『流し雛』と名家に飾られる古き雛たち

【藍場川】

このお店をおすすめする人

REA編集部

塚田

桜の見ごろを迎える4月3日、萩城下の名家・旧家に飾られた古き雛たちのフィナーレを飾る行事として、藍場川沿いにある旧湯川家屋敷内の庭園の池から、地元の子供たちが藁の皿にのせた手作りのお雛さんを放流して、藍場川に春の色どりを添えてくれました。その模様を藍場沿いの名家の紹介とともにお伝えします。

鯉とミカンと桜と雛に彩られる春の藍場川


萩の歴史を今に伝える藍場川の由来

藍場(あいば)川というと萩の住宅街の南部を流れる小さな、とてもかわいらしい川です。


すぐ近くに阿武川から分かれた橋本川という大きな川が流れているので、なおさら藍場川のミニチュアなかわいらしさが引き立ちます。


山口県内の川はいずれも透明できれいなのですが、この藍場川も住宅街を流れているにもかかわらずとてもきれいです。


普通に大きくて立派な色とりどりの鯉が放流されていて、住民の目を楽しませています。


藍場川は人工の川ですが歴史は古く、江戸時代の享保二年(1717)に江向(えむかい)まで、元文四年(1739)に新堀川まで、用水路として開発開削されましたが、その後延享元年(1744)に川船が通航できるように拡張整備されました。 


この川の水は農業用水や、川船を使った物資の運家庭用水や防水用水に使われ、地域住民には欠かせない用水になっていったのでした。


それではなぜ藍場川という名前がついたのかというと、江戸時代までは「大溝(おおみぞ)」と呼ばれていたようですが、下流にある江向に、藍色の染料となる藍玉を製造する場所である藍場座ができたために、いつしか藍場川と呼ばれるようになったそうです。


家の中にハトバがある旧湯川家屋敷


この藍場川に沿って萩市が指定する史跡がいくつかあります。その一つが今回紹介するお雛さんの放流場所となる旧湯川家屋敷です。


藍場川の最上流にある旧湯川家屋敷の主である湯川家は、禄高23石余の武士の出で、遅くとも明治初期にはこの建物に居住していたと考えられています。


湯川家のこの建物がいつ建てられたのかについては正確なところは不明なのですが、古文書の記録を見ますと、明治3年には建物を改築した記録が残っていますので、当初の建物は明治より前であることは確実なようです。


平成3年ごろまでは湯川家のご子孫の方が居住されていましたが、現在は市に寄贈されて今では市の指定史跡となっています。


旧湯川家が藍場川の歴史にとって大切な理由は、川沿いの民家として典型的な水の利用法を実践していた住居様式がそのまま残っているからです。


たとえば”ハトバ”です。ハトバは簡単に言えば、川の水に近づけるように階段をつくって降りられるようにした簡易的な場所のことです。


藍場川沿いにはたくさんのこのハトバを今でも見ることができます。湯川家には風呂場と台所の2か所にこのハトバがあります。


注目していただきたいのは、特に台所のハトバです。


屋敷内部にある庭園から流れ出た水は、屋敷の床下をくぐりながら台所に通じています。ここの台所で野菜や茶わんなどを洗えるのですが、洗った水はそのまままた藍場川に戻っていくのです。


現在の住居としては、夏は涼しくていいのですが、冬場はやはり風が入ってくることもあり寒く、現代人がそのまま住むのは難しそうです。


雛祭のフィナーレを飾る藍場川の流し雛

流し雛(ひな)というのは雛祭の原型となった風習です。身の汚れを水に流して清めるという意味合いがあります。


流し雛の風習はさらに源氏物語にも出てくる人形(ひとがた)流しにその起源を求めることができます。


このため日本各地に流し雛の風習は見受けられます。


藍場川の流し雛では地元の児童たちが、お雛様を載せた藁で編んだ皿を庭の池から流すのです。


皿の上にはお雛様だけでなく、萩にゃんも載っていましたよ。


お雛さんを載せた船も一艘用意されて、藍場川をほかの皿とともに流れていきました。


藍場川での流し雛の素晴らしいところは、川の水の透明度とともに色彩豊かな鯉とともに皿の流れを楽しめることだと思います。


またこの時期は萩名物夏みかんがよく実をつけており、流し雛とともにとても風情のある景色を楽しむことができます。


藍場川は水流のある川ではないので、時折皿が止まってしまうことも度々あるのですが、そのたびに職員の方が竹棒でつついて流していたのも風流でした。


萩城下の古き雛たちが楽しめる桂太郎旧宅


この時期、萩では「萩城下の古き雛たち」というテーマで、萩市内の旧家や名家でお雛さんが飾られています。


江戸時代から平成にかけて大切に保存されてきた萩のお雛様たち、その数1200体以上というから驚きです。


藍場川で流し雛が行われる4月3日はこの雛飾りの最終日でもあるのですが、雛飾りは毎年2月3日から始まりますので、来年も楽しみにしてほしいと思います。


藍場川沿いの旧家といえば、湯川邸のほかには戦前に三度の組閣をはたした桂太郎の旧宅があります。


桂太郎といえば日英同盟の締結に尽力したり、現在の拓殖大学(台湾協会学校)を創設したことでも有名ですが、萩城下の平安古(ひやこ)に生まれ、幼少期に同じ城下の川島に移り住みました。


東京に出て政界で立身出世を遂げた晩年、再び萩の川島の地に別邸を建てたのでした。


この別邸ですが母屋は比較的小さく簡素で、その代わり庭園が広くとられており、桂が藍場川沿いの生活を穏やかに楽しむために建てられたことがわかります。


庭園内には桂太郎の銅像も建てられており、一種独特の風景を催しています。


この庭園で注目してほしいのは、「懸石(かけいし)」と呼ばれる萩地方独特の造園の際の石組にあります。


池のふちにある四角い石が整然と並べられていますが、この石を懸石と呼びます。その懸石を土台にして大きな石が自由に並べられているのです。


萩名物夏みかん発祥の地となった平安古地区旧田中別邸


この藍場川から少し離れますが、橋本川沿い河口付近に桂太郎と同じく元首相の田中義一の別邸があります。


田中別邸があるのは平安古(ひやこ)と呼ばれる地区で、萩藩の地割を今に残しているという意味において萩史を語るうえで重要な地区です。


平安古には毛利一門の下屋敷が存在し、また上級の武士も軒を連ねていました。


この地区に残る土塀などは藩政期の屋敷の名残ですが、今でも旧田中家の北隣にある坪井久右衛門旧宅などは土塀以外にも主屋や長屋門も残っており、貴重な屋敷構えとなっています。


また田中別邸の近くには「鍵曲(かいまがり)」と呼ばれる通りがあります。途中で二度、鍵状に折れ曲がり、両側は土塀で囲まれているため見通しがきかず、敵の侵入を難しくする防衛のための設計になっています。


旧田中家が重要なのは、田中元首相がこの邸宅を取得する前の歴史にもあります。


この邸宅はもともとは小幡高政(おばたたかまさ)という人の住居でした。


小幡高政は萩の代名詞である”夏みかん”の栽培、産業化の端緒をつくった人です。


文化14年(1817)に今の山口市平川に生まれ、維新後は小倉県権令を務めた後、萩に帰郷しました。


生活に苦しむ士族救済のために夏みかんの栽培を奨励して、士族授産に尽くし、90歳で没しました。


このため田中別邸の北隣には小幡の業績を広く後世に伝えるために「かんきつ公園」が公開されています。


この公園には夏みかんが約100本、そのほかの柑橘類10種、370本が植えられていますので田中邸に来られた際にはお立ち寄りください。


この夏ミカン、戦後は主に大阪に出荷されました。その際の名まえは”代々(だいだい)”でした。


なぜ代々かというと夏みかんは実がなったときにはすぐに次の時期の実ができているからです。つまり収穫予定の実と来季の実が同時になるのです。


このため代々実がなるという意味で代々となったのですが、しばらくして夏みかんの名まえが定着して今に至っています。ちなみに代々は”橙”とも書きます。


小幡が萩の地に夏みかんを植えだしたころは周りからは懐疑的な目で見られていたそうです。


最初は、私が率先して夏みかん栽培を推奨しましたが、その当時、萩で夏みかんを栽培しているものはほとんどいませんでした。人々は、私が夏みかんを栽培するのを、疑いの目でみたり、あざ笑ったりしました。しかし、今日、夏みかんの栽培が盛んになるにつれ、そのような人々も、少しの空き地があれば、夏みかんを栽培するようになりました。


今でも萩は夏みかん畑があちこちにあって訪れた人の目を楽しませてくれますが、そういう歴史的経緯があるのですね。


このため田中別邸付近の景観は「土塀と夏みかん」で彩られていますので、ここを訪れた際にはその写真を撮ってほしいと思います。


夏みかんは萩のシンボルとして、コミュニティバスのバス停マーク、マンホールの模様、萩市のゆるキャラ「萩にゃん」の胸ボタンにも使われていますよ。


ところで田中義一は身長が高く、180cm以上あったそうです。


田中義一の陸軍大将当時の正装である大将服も展示されていますが、確かに大きくてとても昔の人の服とは思えないほどです。


田中邸は小幡邸を増築したものですが、床の間にはまっすぐな桜の木の柱が使われていたり、廊下にヒノキの一枚板が使われていたりしています。


本宅の二階からみえる橋本川の景色は絶景で、春の日差しが川面に反射してとてもきれいでした。


上の写真をみると江戸時代にはなかった白壁が作られていますが、これがなかった時は庭から直接川に出入りする「舟入り」と呼ばれる場所でした。


橋本川ではスズキがとれるので、一本釣りを狙う釣りファンの人が釣り竿を垂らしている風景が見れます。


萩城跡横の指月橋(しづきばし)から遊覧船がでていますが、この桜の季節、橋本川を桜並木が見える付近まで遡上してくれるので、萩を訪れた際にはぜひ乗船を検討してほしいと思います。


【参考資料】

萩市指定史跡 『旧湯川家屋敷』 『桂太郎旧宅』

重要伝統的建造物群保存地区 『萩市平安古地区 旧田中別邸』

重要伝統的建造物群保存地区 『鍵曲土塀の背後に広がる水辺の屋敷跡 萩市平安古地区』

藍場川
住所
山口県萩市川島67
営業時間
24時間
定休日
無休
主な客層
地元住民
平均予算
なし
お問い合わせはこちら0838-25-3139 (萩市観光課)